from 運転席よりお送りしております

やあ


どうしようもない感情の吐き口が、ここしかないようです。可哀想な人間だなまったく


世の中にはいろんな人がいる

人の数だけ考えがある

だからこういうもんじゃないの?と勝手に決めつけてはいけない

あくまで私はこう思う、たぶん世間一般もそうだと思う。けれど違う意見の人は必ずいるから断言はできない。


この思考がかなりやっかいなもので

何で他人のことばっかりたくさん考えなきゃいけないんだろうかと

仕事上仕方がないけれど、じゃあもう向いてなくね?と

なんか、マジでさ

私ってなにが向いてるんだろうな


自分探しをずっとしている

たぶんさ、私と同じような人は多いと思う

これもさっき言った通りそうじゃない人もいることはわかっているが


でもみんな途中で嫌になって考えることをやめて、いつもの日常生活に戻っていくんだろうな


たぶん、これも完全個人の見解だけれども、

考え抜いた人の結末はきっと死なんだろうな



最近、というか近頃。

誰かに必要とされれば、まだ生きていたいと思えるのに。と、思うようになった


私はまず他人と関わることが少ないので、そんなことを思う人間なんてこの世にはいない。

いたら逆に怖い。


誰かにとって変えの利かない人間になりたい。

でもそれってすごく難しい。

生きる上で難しいことってたくさんあるね。

あと何個あるんだ、マジで。


どうしてみんな普通の顔して生きていられるんだろな。

いや、顔に出さないだけでみんな裏では泣いているのかもしれない。

事実自分がそうであるしな。

自分と他人を一緒にするなという感じでもあるな。

いい加減自分でボケとツッコミをするのも寂しい。ボケたつもりないけど。


毎日笑顔で過ごして幸せを感じながら生きている人間なんて、この世の人口の何割なんだろうか

生きることにこだわり過ぎなんだろうか?

面倒くさい。


てか、寒い。

タイトルの通りこの記事はクルマの中で書いている。

気づけば帰ってきてから30分以上経過している。


去年のことを思い出す。

車の中で静かに一人で息を止めた彼のことを。

全く知りもしない人だったけど、歳が確か一つ上で、地元の中学校が一緒だったらしい。

なぜ、そうなったかはわからず、ただ静かに逝ったそうだよ。


私もずっとこのまま車の中にいれば、そういった未来、いや未来とは言わないか、結末が待っているんだろうか。

なんて考えても無駄で、私の心は枯れ切っていても身体は元気なようで。

運動なんて一切しないし、食べてるものも偏ってるけど、風邪ひとつ引かないし病気にもならない。

健康で健全な身体なのだ。

それがまたありがたくも悔しいのだ。


たぶんしぶとく生きるように神様が私の体を作ったんだろう。

その分心の元気を身体に持っていってしまったようだ、神様は残酷だ。

前世の自分へ

お前一体その時代に何をやらかしたんだ。


明日はやっと金曜日。

仕事ももう嫌になってきていて、自分で動かなきゃいけないのはわかるし、いいんだけれど。

どこまでが自分で決めていい範囲なのかがてんでわからない。

だからとにかく確認を取るようにしてる、もうそれはうざいぐらいに。

それぐらい自分で決めろよ、と思われてるかもしれない。

だってわからないんだもんよ、仕方ないじゃんね。


でもしんどいのが。

みんな私と話してると笑顔が引き攣ってるの、あれ何。

やっぱ歓迎されてない感じ?話しかけにくい?話してても楽しくない?収穫のない話しかできないから?


やはり顔か?

でも私、おもしろくもないのにずっと笑顔でいるとかできない。

そこはお前、がんばって表情作るんだよとお姉ちゃんから言われそう。

いやできないから、そりゃ他人と話す時は声のトーンも上がるし微笑むけれど、他人からすればそれは狂気の顔なんかもしれん。


かわいくも、かっこよくも、綺麗でもない顔

いわゆるブサイクだから。

自分に自信なんてこれっぽっちもないしな。


いい加減首が痛くなってきた


明日も何とか、やり過ごせますように。

そう願うことしかできない。神様はきっと私のことが嫌いだ。

上等だ、じゃあ私も神様が嫌いだ。